結局、救えない人間は救えなかった
加藤容疑者を生んだ社会「男男格差」の理不尽
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/aera-20080619-01/1.htm
不細工、彼女なし、派遣。様々な要素で劣等感を募らせた加藤容疑者。
学校でも職場でも、容赦ない格差が若者たちを襲う。事件の一報は自宅のテレビ速報で聞いた。
25歳の男が秋葉原で無差別殺人——。
関西地方に住む無職の男性は、同じ年齢の男が起こした事件に衝撃を受けた。報道で徐々に明らかになる加藤智大容疑者を知るにつれ、こう思った。
——こいつ、自分と同じ境遇じゃないか——
小学校から学習塾に通い、中高は私立中高一貫男子校に進んだ。勉強は好きだった。猛勉強の末、難関の有名国立大にも受かった。だが、大学に入って気づいた。勉強だけできてもダメなんだ、と。
高校までは気心の知れた男子仲間だけの温室だった。でも大学では、人間関係が広がる。特に女子とうまく絡めるか絡めないかで、対人関係の広がりは大きく違った。うまく絡めるヤツはモテて人気者になり、器用に友達や彼女を作れる。
本来、こういうスクールカーストで低位におかれた人間を救うのがオタク文化だったはず。確かに、これでスクールカーストの階級から離脱して平等なオタク社会に入れば、空虚な「モテー非モテ」というしょうもない価値軸から自由になれるはずだった。事実、そうして「別にモテとか関係ないし」と救済できたオタクはたくさんいた。
ところが、やはり「そこまで割り切ってしまえない人間」はいたわけだ。今まで、その問題については「医学は無意味ではない。末期癌患者を救えないからといって、肺炎の人間を救うことに意味がない訳ではない。同様に、オタクになれない非モテがいるからといって、多くのオタクが救われる事には意味はあるはず」と言ってきたが、そこからこぼれおちた「なりそこない」の絶望が今回の秋葉原事件にまで発展してしまったわけだよ。
しかも、明らかにこれは氷山の一角でしかない。
石油などの燃料の取り扱いにおいて、「引火点」と「発火点」と言われる温度がある。「引火点」というのは、誰かが火をつけたら炎上する温度。それに対して「発火点」というのは、何もしなくても過熱によって自己点火する温度。
今までは、「引火点を超えてる。温度を下げつつ、火種を持ち込む奴をどうにかしろ」と言ってきたが、今回の事件は明らかに状況が「発火点を超えた」ところまで悪化した事を意味する。
つまり、たんなるイタズラの予告ではなくて、本物の模倣犯が今後多数連続して起きる可能性は極めて高いということだ。それで死ぬのはどこかの誰かかもしれないし、根本的な原因を作った財界人の誰かかもしれないし、自分かもしれない。友人については、マイミクを2人挟んだ方をすでに失った。
これは、「なりそこない」をおたくに引き上げて救うことの出来なかった我々おたくの敗北であると同時に、おたくもなりそこないもすべてを含んで生み出したこの国の敗北でもある。
あとは、大量の死者、そしてテロによる混乱と衰退だけが残されているのかもしれんなあ。「なりそこない」を救うことの出来なかった国は、もう存続する資格がないのかもしれない。

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